星の合図

すべてが恩寵。
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オセロの最終局面。

わたしは両親の無理解で
10代の頃から精神薬をあてがわれました。
特に父などは末の妹が、わたしには叔母にあたります、
「○○病院の薬を飲んでいると本当にイイの!」と
絶賛の嵐で、彼女は良心的な医師に恵まれたのでしょう、
そんなわけで両親ともども、医者・病院・薬の
100パーセント頼りで、不可解な娘の行動を
シャットアウトしてきました。

また○○病院はわたしの中学の学区内でした。
16才のときに初の入院生活を送ることになったのですが、
格子の嵌った窓から同級生の家が見えるのですね。
あれは切なかったです。
学区内ということで、わたしの噂をききつけた当時のナースたちから
「男で問題起こしてきたんだってねぇ」と
ぐるり囲まれ怖い想いをしました。

また昭和の女子たちは火曜日のリネン交換が苦手で苦手で
わたしもコツがつかめるまで苦労しました。
初めての入院でリネンは「これでもか」と糊付けされており
糊付けを剥がすのでさえ大儀でした。

「不潔なリネンは交換してくださーい!」
なんという言い草でしょう。
「ふけつなリネン」現代なら苦情の対象になるのではないでしょうか。

ある時の入院で「入院生活でお困りの点がありましたら
こちらに連絡を」と電話番号の紙が掲示されていた時期が
ありました。そちらに電話しようとした猛者がいたのですが
かけようとしたらすぐナースが張り紙を剥がした、と
言うではありませんか。
何の意味も無い空疎なデモンストレーションだっただけ?

○○病院は国立でした。

2014年の冬に実に10数年ぶりに入院しましたが、
平成の風を感じました。
リネン交換は清掃の職員がすべて交換してくれて、
男女別だった病棟は男女混合に変わり、
建物も近代的でキレイで清潔で、
熱湯などを使わない(昭和の病院では熱湯が出る蛇口があった)
よく考えられた環境でした。
小泉内閣のときからこんなふうに当たり障りのない
環境になったとのことで、新聞を読んでいるおっちゃんから聞きました。

我が母上は未だに元気なのですが、
何かすると「○○病院へ行くか?」と脅してくるので、
わたしは実家へよりつかなくなりました。
東京へ来たのも環境からの遠心力が膨大にあって
ためらいはいっこもありませんでした。

母への感謝は産んでくれて育ててくれてありがとう、
でも、苦い想いなんだ、それも自分で消化(昇華かな)
しなくてはならない領域で、
女同士の軋轢と溝は深いままです。

わたしは現在、母の嫌う東京で暮らしています。
夫は「嫉妬から言うのだから」とたしなめてくれます。
東京は遠すぎて判らないから出た言葉なんだよ、と解説してくれました。

父は早くに他界して十数年になります。
「お前とオレは似ていたんだな」とわたしと同じように
ひきこもって仕事を定年を残して辞めてしまいました。
そして母の付き添いのもと○○病院からお薬をもらいに行っていました。
父の病名はわかりません。

わたしは統合失調症です。
その前は非定型精神病でした。
前者は東京に来てから、後者は故郷で付けられた病名で
東京での病名は「ああ、わりとポピュラーにきく名前だ」と
ほっと肩の荷が下りました。

またわたしは高血圧の薬も飲んでいます。
遺伝です。主に実家の家族ぜんたいからの高血圧です。
味つけの濃い東北って悲しいですね。

また理不尽にふりかかってきた副作用の話になると
長引くので後日、分けて書くことにしますね。

わたしは16才当時、死にたがりでした。
今ではそんなとんでもない、オセロの最終局面に来て
黒ばかりだったゲーム盤が白に一気に変わるような心持ちでいます。
生き抜いてやる。
そしてこれで輪廻転生を終える。卒業制作を
夫=彼と共に作ろうじゃないか、と闘志を燃やしています。




 


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